流れる

昨日から、いろいろと考えていて、もうずいぶん前に父親に言われた言葉を思い出す。「そういう流れには、逆らわず、流されてみたらいい。」と、彼は言いました。そのときの「そういう」は転勤だったのだけど、環境の変化があるときには、いつも思い出して、素直に流れるように流れていくようにしてきた。鮭のように、逆らって逆らってたどり着いたところに本当のゴールがある場合もあるかもしれないし、「流される」って、自分の意思が反映されていないようにも思えるかもしれないけど、無理をしない、無茶をしない、という意志はちゃんと貫くということで。苦しみに耐えることだけが、美徳ではない。なんて。
長くなりそうなので、たたみます。
結局そのときは、転勤はせず、最終的には辞めてしまった。25歳だった。少しだけだけど昇進したことによる圧力やら摩擦やらと、私生活でのゴッタゴタとで、心と体をこわしてしまい休んでいるとき、「代わりはいくらでもいるから、ゆっくり休めばいい」と、親切心から言ってもらった言葉に傷つき、自分の価値を疑い、悪化したようにも思う。でも、それをきっかけに断ち切れるものを全て断ち切ったことで、ずいぶん良くなった。一番その傷を癒したのは、ゼロから世界に出たくて専門学校に通っている頃、辞めた職場からヘルプの依頼があったことだった。その後、そこでもいろいろなことがあり、次々とメンバーが減ってしまい、新人を入れても教える余裕がないから、本当に君だけが頼りだと言われ、引き受けた。要らないといわれて去り、やっぱり要るといわれて戻り、流されすぎですな。実際には、貧乏学生生活も苦しく、「時給はいくらでも出すから!」の言葉に心惹かれたのだけど。ちょうど冬休みだったし。
そして、うすうす感づいてはいたのだけど、もとの仕事に戻ったことで、その専門学校で勉強している業界では、自分は生きていけないだろうと確信し、学校も1年残して辞めた。もともと忍耐力の無さには自信がある上に、父親に言われたあの言葉を味方につけ、不満や疑問を持ちつつ続けることは、ほとんどしなくなった。継続は力になることも知ってる。その力も確かに大きい。でも、人生は短いし、この人間は強くない。耐久性の低いこの心と体と、付き合っていくのは自分だから、いいのだ。これで、いいのだ。
昨日、山(実家)に登って気が付いた。10代の頃つらかったことが、今ならつらくないこともある。逆もあるだろう。楽しくやれるときに、こころから楽しんで取り組むのが、それがタイミングというものだと思う。必要ならば、機会は必ず来てくれるんじゃないかな。見逃さないように、いつもその期待を胸に抱えておくことが、大切。
若い頃は、「こんなにがんばってるのに、なんで?」と、自己憐憫に陥ることがすごく多かった。それは、義務感だけで行動していたからのような気がする。そのぶん、不平は増える。不平をこぼすくらいなら、恩着せがましくやらなきゃいいのに、それを努力と勘違いしてた。悪い男は、それを利用し、表向きだけの友人は、慰めるふりをして自分を慰めてた。あの時、それに気付いて全部をゼロにしたから、今の幸せがあると思えば、それもよい経験だけど。と、言える歳になった。
・・・・・今日は、このくらいにしといたろう。