キロクマ

安静に、と言われ続けて、どこまでどうしたものか加減もわからないので、つい、ただダラダラと過ごしすぎていたのだけれど、意識だけでもしっかり持たなくてはと、『7つの習慣』を読みなおしていた。もう、これで何度読んだかわからない。6回目? 7回目? でも、今回は初めて(!)内容が入ってきた感じ。やっぱりタイミングってあるんだと思った。余裕がない時ほど読んだほうがお得だけど、余裕があるときに読まないと理解できなかった。気持ち的には、あまり余裕があるとはいえない状況だったから、だから読んだんだけど、時間に余裕があって助かった。ヘタに時間ばかりがありすぎて、悪いほうへ悪いほうへ考えてしまいがちだった。読んでよかった。勢いづいて、フランクリン・プランナーまで買った。お試し版。で、まねして2人分作った。とにかく、ひいくん誕生までに、記録を残すくせと、計画を立てるくせをつけておきたかった。ここには書けないことも出てくるだろうし、忙しくなったら、無計画ではグダグタになって、自己嫌悪で堕ちてしまうのが目に見えている。有効に使わないと。あと、70日くらいで産まれちゃう! 今の、この一心同体でいられるときにできることをやっつけてしまわないと。お? いっしんどうたいってこうやって書くんだ……一身同体かと思っていた。心は、別かなあ。一緒にいても、ひいくんは、ひいくんの意思で生きているのを感じる。わんぱくくんな予感だし、母は、かなり強くなくてはな。よし、来い!
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意識改革をしようと格闘している間の記録をまったくしていなかったことはちょっと後悔。でも、ここには書けなかった。鬱々としていたってこともあるし、何冊か読んでいたのだけど、特定の人の本ばかりだったことと、内容も偏っていたこと、自分でも少し行き過ぎているんじゃないかと思うくらい熱心になってしまっていたこと、で、その勢いのままここで書くと、なんとなく陰気臭さや胡散臭さ、説教臭さなどなど、臭い臭いものになってしまうんじゃないかと思って。
今は、少し落ち着いた。改めてあえて書き出しておくと、コヴィーさんの本とホームページ、ナチュラルクリーニングに関する本とホームページ、それとバッチフラワーレメディーの本をひたすら読み返していた。音楽を聴くより、散歩をするより、人と会うより、とにかく一人で自分がどうしていきたいのかを考えることで、気持ちが落ち着いた。仕事を辞めて一人で居る時間が長くなるにつれて、日に日に人のためになりたいという気持ちが湧き出るのを感じているのに、今、唯一かかわっているてるおさんのために何かしていても、見返りを求めてしまうことに嫌悪感がありながら、いつも報われていない感覚だった。やっと、落ち着いて、方向性が見えてきたかんじ。直接「誰か」じゃなくても、できることをすればいいと思えるようになった。
妊娠は病気じゃないっていうけど、筋腫ちゃんが見つかったことで、けっきょく気持ちが病人になってしまっていた。油断するとすぐ闇へ闇へ向かってしまう。弱音は吐きたくないし、心配もかけたくないけど、本当は、怖くてしかたがなかった。打つ手はないし(手術もできないし)、かといって、ひいくんを守れないようじゃ困るし、気持ちを強く持つことしかできない。試練だなーと。こんなとき、もっとつらい人もいるとか、そういうことはよけい考えたくないもんだ。ほかの人との比較じゃなくて、自分がどうするか、何ができるかしか考えられなかった。でも、結果、これでよかったと思う。時間をかけてゆっくり自分自身について考えることができたから、どこへ向かえばいいのかはっきりしてきた。改善し甲斐のある人生で、かえってよかったんじゃないでしょーか。