生きていると、後悔をすることは必ずある。「あー、おなかいっぱい。大ライスじゃなくて、小ライスにしとけばよかった!」と、いうものから、「く…。こんな女と結婚するんじゃなかった…。」と、いうことまで様々あるだろうけど、でも、それは、先に立たず、であって、どちらを選んだとしても、何かしらの後悔をすることにはなるかもしれない。
それならば、損得ではなく、正しいか・間違っているか、そして、真か偽かで自分で責任を持って決めたい。


ぼろは着てても心は錦


うちの父親が、よく言ってた。そこから、特にお説教が始まるわけでもなく、なにかつぶやくように口にしてた。あるいは、自分に言い聞かせてきた言葉なのかもしれない、と、今とはなっては思う。本当の敵は、貧乏じゃない。自分の心の貧しさこそだ。そんな風に捉えてきた。事実、食べていかれないほどの貧乏を経験したことはない。どちらかといえば、なぜかずっとお金には苦労せずに生きてきた。特別に裕福というわけでもなく。上も下も、見て比べればきりはない。この言葉によって、比較をしないことが、デフォルトとして備わったのかもしれない。


どうせ後悔するならば、どんなに苦労をしても、「でも、正直に正しい道を選んだ」と、胸を張っていたい。
むしろ、自分に素直に、正しい道を選んできたならば、どんなに苦労をしても、後悔はしないかもしれない。そう、思いたい。