平常心

自分の価値がよくわからないので、何か標的がないと生きられない。両親や妹たちが悲しむかな?とか、お団子たちが困るかな?とか、そんな理由だけで生きている気がしてきた。てるおさんは、ウチがおらんでも生きていける。死にたいとは思わないけど、死んでもいいなあと思う。昨日は、親戚のおじちゃんの通夜だった。てるおさんのじいちゃんが死んだときは、なぜかやたら泣けてしかたがなかった。でも、今、死がこわくも悲しくもない。病んでるかな。知り合って間もない頃、大袈裟に大義名分を掲げがちなウチに「自分のためだけに生きてみろ」と言ってくれていた夫氏は、今は「自分のことしか考えてないんか」と歎き訴えてくる。それによる錯乱かもしれません。平常心とはほど遠く。