まだですよ

母から「まだですか?」と、催促の電話あり。親戚の誕生日を手帳に書き込んでみたところ、5月だけ一人もいなかったから、というおバカちんな理由で、妊娠発覚からずっとずっとずっと5月に産んでくれと言われ続けていたのだけど、残念ながら。
17日には、父から「明日、産むといいんじゃないか?」と、電話があった。誕生日が14日の妹が、息子を14日に、同じく28日の妹が、息子を28日に産んでいるから、18日生まれのちよは、18日に産むといい! と、じじばば夫婦で盛り上がったらしい。
娘を四人、孫もひいぼうで四人目ともなると、命の誕生も神聖さがうすれていくというか……。でも、おかげで「また、おバカなことを」と、笑っていられる。長女のわたしが、若いうちに、初孫を産むことにでもなっていたら、それこそ、過保護・過干渉で大変なことになっていたと思う。本当に、グッドタイミングだ。よかった、よかった。
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「ひいぼうの名前について」
昨日、メモ的に手続きのことを書いたので、ついでに。
我が家は、法律婚ではなく、事実婚というかたちで暮らしている。今年で、7年目。結婚についての考え方は、人それぞれあるだろうけれど、二人の考えとしては、「結婚=(たぶん)生涯、二人で協力して暮らしていくこと」というシンプルなもので*1、式を挙げるとか、法的な手続き(簡単にいえば、婚姻届を出すこと)をするとか、そういったことはまったく含まれておらず、ずっと協力して暮らしていこうという意思と、実際にいつも協力して暮らしているかという2点が、事実上あるか、ないか、だと思っている。だから、法律婚の夫婦を責めるつもりは、もちろんまったくない。「今だけ」という気持ちなら、いっしょに暮らしていても、「結婚しています」とは言わないだろうし、盛大な結婚式をしていても、法的な手続きをしていても、その2点がなければ、結婚しているといってもカタチだけで、あまり意味はないんじゃないか、とは思っている。
まあ、いろいろな考え方があるとは思いますが。
わかりやすく、ちよの氏を「白玉」、てるおさんの氏を「赤玉」としましょう。
事実を重視するなら、必要のない手続きは、必要のないものとして、しないままでやってきて、それで、問題なく暮らしてきた。近所の人も、親戚も、友達も、二人のことは夫婦だと思っているだろうし、そう思わない人は思わないでもいいし、正直、今となってはどちらでもあまり気にならない。赤玉さんちのオクさんと呼ばれても、どうということはない。ちなみに、近所の動物病院のカルテには、お団子たちの名前が、「白玉 虎次郎」「白玉 優」と書いてある。なので、ここの先生には、てるおさんは、白玉さんちのダンナさんと呼ばれている。どっちだっていいのだ。

ただ、気になる人は、気になって気になってしかたがないらしい。というのは、てるおさんのお父さんとお母さんのこと。ばあちゃんも。4年目、5年目あたりから、やっとだんだんあきらめモードになってくれていたのだけど、ひいぼうの存在で、ふりだしに戻ってしまった。

お父さんたち曰く、「ちよが赤玉を名乗らないのは、もう、いい。*2だが、長男(てるおさん)の子が、赤玉を名乗らないわけにはいかない。赤ん坊は、赤玉家の孫なのだから」。と、まあ、こんな調子なので、このたび法的な手続きをいろいろすることになったという次第。
戸籍を取り寄せてまで確認はしないだろうけど、どうしてもと言うなら、氏は赤玉に変えてあげてもいいよ。ということになった。放っておくと、ひいぼうの氏は白玉になるので、それを、赤玉に変えてもいいかどうか、裁判にかける。大袈裟なことだ。裁判長から許可が下りたら、母であるちよの戸籍から、父であるてるおさんの戸籍へ移動させる手続きをする。このときに、もしも、親権(おかしな話だが、法律婚をしていない場合、父か母のどちらかにしか与えられない。とりあえず、産まれたときは、母にある)を、父に移したければ、これも手続きが要る。
二人としては、白玉でも赤玉でも、親権があろうがなかろうが、自分たちの子どもであることにかわりはないから、どっちでもいい。でも、親権は、母がもらっておくことにした。というか、あえて、手続きをしてまで変えることはしないことに。たぶん、どちらかにしか親権がもてないとは知らないだろうし、知ったらきっと注文が入るだろうけど、自分から身を乗り出して勉強しようという姿勢はないくせ、世間体ばかり気にしている人に、こっちから教えてあげる義理もないので、話さないことにした。*3
将来、もしかすると、ひいぼうは封建的な家制度を重視するような考えを持つ人間に育つかもしれない。自分の子どもだからといって、考え方を押し付ける気はないので、もし、そうなったときには、自由にしたらいいと思う。自分に関する法的な書類を確認したいと言い出すかもしれないので、出生届には、父の名も載るように、あらかじめ胎児認知の手続きをしておいた。
本当のことを知るというのは、それは、難しいことだからしかたないかもしれないけれど、当人がどれほど主張しても、世間的・法律的には「事実を紙に書く」のではなくて、「紙に書いてあることが事実」となってしまう。
でも、できれば、紙切れになんて書いてあったとしても、ちよとてるおさんは、ひいぼうの父と母として、もっと言えば、たとえ血のつながりさえなかったとしても、ひいぼうが大好きで、心から大切で、いつもひいぼうの幸せを祈っているんだという事実を、しっかりと感じられることで、安心していられるような家族になりたいと思う。

*1:あえて(たぶん)をつけたのは、誰にも明日のことはわからないからです。

*2:本当は、良くない。

*3:ちょっと意地悪な気持ちにもなるさ。