発見

おんぶから降ろしたり、眠っているのを移動させたりしたときに起きちゃうことがあるのだけど、そのとき、今までなんとなく見よう見まねで、胸をトントンとやったり、もう一度かかえて背中をトントンとやったり、また歩き回ったりしていたのだけど、眠いはずなのに、かえって目が覚めてしまうこともあってかわいそうだった。
そんなとき、寝かせたままててをぎゅっとにぎってあげると、すーっと落ち着いてそのまま眠ることを発見した。
なんでそうやってみたかというと、ひいぼうが、そうしてほしそうにしていたから。
まぬあるドオリには、いかないんだべ。
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すこし前に読んだ『七歳までは夢の中―親だからできる幼児期のシュタイナー教育』のなかで、気に入っている項。

ゆっくりな子にはゆっくり
 例えばこの子は何をするにもゆっくりでノンビリだわねえというとき、普通だともうすこし活発なお友達と遊ばせてみようかしら、と考える。この子は激しいなあ、よく怒ること、と圧倒されると、ちょっと落ち着かせるために、青っぽいものなど着せたらどうかと思う。
 ところが、シュタイナーにはまったく逆の答えが用意されている。ゆっくりな子のまわりには、似た性質の友達を寄せ集めて、ゆっくりとしたテンポで遊ばせる。すると自分のまわりを見て「こいつらは、なんでこんなにゆっくりしてるんだろう」と、自分もゆっくり屋なことも忘れて気にしだし、自然にテンポを速めてくる。
 また、怒りっぽい子どもには、赤を着せる。すると心の中に赤の補色である青緑が生まれ、それによって子どもは癒されて、落ち着くという。ジョイス先生との夜の懇談会で、画用紙の上にクレヨンで赤い丸を描いて見つめていると、回りに補色である緑の光の環が見えてくるという実験をした。
−中略−
 あさがおの種の中には、あさがおの花びらのもとしか入っていないように、子どももその中に持っているもので育つのだろう。ゆっくりの子に急げ急げと強いるのは、あさがおに向かって「ひまわりのように黄色く咲いてみなさい」と命ずるようなものだ。そういうやりかたで、子どもの持っているものを壊すことのないように、注意深くしていたい。

昔から、「ゆっくりな子」だったから、すごく救われる感じがしたのと、なんとなく、その法則を知っている気がしていたのが嬉しかったから。不良の子が、校則違反の赤いシャツを着ていたのは、自分の中の激しいものを感じ取って抑えようとする自然な行為だったのかもしれないと思った(参照)。
ちょっと、ひいぼうにも赤を着せてみたら、風邪気味のせいかおとなしくなりすぎちゃった感じなので、青に変えました。今日は、よく寝る。